去る10月26日、ご本部の秋季大祭において、真柱様より直々に「諭達第四号」をご発布いただきました。 「諭達」の冒頭に、 立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。 とあります。 全教よふぼく・信者が「諭達」の精神に心を一つに結んで教祖140年祭を目指す年祭活動が、いよいよ始動します。 そこで、この本部巡教で、まず教会の主立つ方々に、「諭達」に込められている精神と年祭活動の意義をお伝えし、全教一手一つの成人の歩みを進められるように、皆さんとともに、「諭達第四号」の精神をまず心に納め、これから教祖の年祭に向かう私たちの歩みについて考えていきたい。 教祖年祭の意義 「教祖年祭を勤める意義」は、「諭達」に、 教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である。 とはっきり示される通り、「教祖の親心にお応えする」ということです。 そこで、まずは、「諭達」に、 子供の成人を急き込まれ、定命を縮めて現身をかくされた と記される年祭の元一日に籠る「教祖の親心」を少し考えてみたい。 教祖年祭の元一日 教祖は世界たすけの元立てとしてよろづだすけのご守護をくださるおつとめを教えられました。このおつとめをしなければ、他でどれだけ頑張っても、陽気ぐらしは実現しない。おつとめこそ、天理教の生命線ですから、教祖は終始おつとめを急き込まれる。 しかし、おつとめをすれば、官憲がご高齢の教祖を警察や監獄へ連行する。初代真柱様や先人の方々は、教祖のお体を案じて、おつとめに掛かれなかった。しかし、教祖はその中でも厳しくおつとめを実行急き込まれます。 そして明治20年(陰暦)正月26日、いよいよ教祖のご身上が迫った。初代真柱様の固い決心の元、一同腹を括って白昼堂々とおつとめを勤めたところ、奇跡的に一人の警官も来なかったが、十二下りの終わる頃に、教祖は現身を隠された。これが、教祖の年祭の元一日です。 先人方は、教祖の仰せに従っておつとめを勤めた。なのに教祖はお姿を隠された。何故でしょう。 正月26日のおつとめは勤めることができた。しかし、もし教祖が、そのままおられたらどうでしょう。多分、人々は、その先も教祖の御身を案じておつとめをすることを躊躇するはず。姿ある限り、十分におつとめはできないだろう。そこで、25年定命を縮めてお姿を隠された。 すなわち、子供たちが安心しておつとめが勤められるように、親心のうえからお姿をお隠し遊ばされたのです。 また、人間思案を捨てておつとめを勤めることができたのだから、これからは皆一人立ちして、神一条の道を通ってくれと、その成人を促される親心からでもあります。 こうした親心から、教祖は定命を25年縮めてまで、現身をお隠し遊ばされたわけです。親というものは、子供の身上が危なければ「私の命を何年削ってくださって結構です。その代わり、この子の命をおたすけください」と、親神様にすがるぐらいのことはするものです。これは子を思う親心ですが、残り寿命の全てを引き換えてまでとはなかなかいかないものです。ましてやよふぼく・信者、つまり理の子の成人を促すために、我が身を引き取ってもらうような心定めなどできるものではないでしょう。これを思えば、教祖の後に続く人々が、安心して神様の道を通れる、歩めるようにと、定命を25年お縮めくださった教祖の親心は、私には、究極の親心であると思えてなりません。 存命の理 それまで、お道の前面にお立ちくだされた教祖は、お姿を隠されてからは、陰に回り、目には見えない「存命の理」として、世界たすけの先頭にお立ちくださることになりました。 そして、「存命の理」の世界は今も続いており、これから先も悠久に続いていきます。 教祖が現身を隠された元一日は、ひながたの道が完結した日であり、それはまた、「存命の理」として新たなたすけの世界へ扉を開かれた元一日でもあります。 教祖が、ひながたの道中、幾重艱難苦労の道を歩んでくださったのは、可愛い子供たちをたすけたい、陽気ぐらしへ導いてやりたいという親心に他なりません。 教祖のひながたの50年には、この親心が一貫して流れています。そして、ひながたの道は、定命を縮めてまで子供の成人をお促しくださった親心で締め括られています。 さらには、この親心は、存命の教祖の親心として、今も、これから先も、私たちを守り続けてくださるのです。 この「教祖の親心にお応えす」るために、「よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め」て、全教が同じ旬に、一手一つになって「仕切って成人の歩みを進める」ことが、教祖年祭への歩みであり、「教祖年祭を勤める意義」です。 三年千日の所以 さて、年祭活動は「三年千日」と仕切って勤めますが、「三年千日と仕切る」意味については、「諭達」に引用された、 ひながたの道を通らねばひながた要らん。(略)ひながたの道より道が無いで。 (明治二十二年十一月七日) というおさしづで教えられます。 この「略」の部分には、 五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しのや。ひながたの道より道が無いで。 (明治二十二年十一月七日) と、つまり、「教祖のひながたの道を三年と仕切ってしっかりと通ってくれ」ということです。 「年祭活動」という文字を見れば、「活動」=何か実動することに目が行きます。もちろん一手一つになって活発に勇んだ活動をすることは、「年祭活動」には欠かせないことですが、その「活動」の根底にあるもの、ベースとなるのは、「ひながたの実践」です。 10年の中の僅か3年、ひながたを目標に、教祖から教えられた教えを実践することです。 この旬に通るべきひながたとは では、この旬に、私たちが通るべきひながたはどんな通り方でしょうか。それも「諭達」に、 教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められ、どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。 あるときは、 「水を飲めば水の味がする」 と、どんな中でも親神様の大いなるご守護に感謝して通ることを教えられ、また、あるときは、 「ふしから芽が出る」 と、成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され、周囲の人々を励まされた。 さらには、 「人救けたら我が身救かる」 と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された。ぢばを慕い親神様の思召に添いきる中に、必ず成程という日をお見せ頂ける。この五十年にわたるひながたこそ、陽気ぐらしへと進むただ一条の道である。 と、この旬に通るべきひながたの道の大要が述べられています。 ここに、「水を飲めば水の味がする」・「ふしから芽が出る」・「人救けたら我が身救かる」という3つのお言葉が出てきますが、これらについて思うところをお話しします。 「水を飲めば水の味がする」 私たちは、親神様の尽きることなく絶えることのないご守護にお守りいただいて日々通り、教祖の親心にお導きいただいて陽気ぐらしへの道を歩んでいます。この「親神様のご守護がありがたい」・「教祖の親心がもったいない」と、「ご守護」を「ご守護」と感じ、「親心」を「親心」と感じて、感謝をするところから信仰は始まると思います。 そして、この「ご守護」と「親心」を「ご恩」と感じるようになって、信仰は深まっていくのです。 この「ご守護」と「親心」に、日々感謝をすることが、信仰の基本であるように思います。 私(63歳)は40歳のときに、厄介な身上お手入れをいただきました。強烈な目眩が高じてとうとう歩けなくなり、立つことすらできなくなって、寝たきりの状態になりました。布団の中で尿瓶で用を足し、後は家内が捨てに行ってくれますが、これが便利とは言っておられません。まだ40歳、現職の教会長、家族もいる、子供は小さい、このままの状態がいつまで続くのだろうかと、実に不安な日を過ごしました。 ところがある日の朝、トイレに行きたくなって目が覚め、ぼーっとしていたせいか、電気を点けようと思って立ち上がったのです。そのとき「立てた!」と思いましたね。何日かぶりに立つことができた。これは感激です、もう感動でした。そして次の日、一歩、そのまた次の日、一歩二歩と歩けるようになった。毎日が感動の連続でした。「普通に立てること、普通に歩けること、これがどれほどありがたかったのか」ということを、身上になって気付いた。まさに「水を飲めば水の味がする」というお言葉を、身に染みて実感した瞬間でした。 この身上は、良くなったり悪くなったりを繰り返して、全快まで7年掛かりました。この間、最初のうちは、「たすけてほしい」・「なんとかご守護いただきたい」ばかりを親神様にお願いしていました。しかし、あるとき、ふと「なぜご守護をいただきたいのか」・「ご守護をいただいて何をやりたいのか」と考えました。私はよふぼく、現職の教会長です。「そうだ、会長として御用を勤めること、よふぼくとして御用を勤めるために、ご守護をいただくんじゃないか」と分かったとき、もう「直してください」・「ご守護ください」というお願いは一切しなくなり、「教会長として御用を勤めさせていただきたい」・「よふぼくとしてお使い頂きたい」、こればかりをお願いして、そして調子が良くなれば、とにかく動いて、自分のできることをしてきたように思います。そうして、自分の身上と立場の御用に向き合いながら、そのときどきに何ができるかを考えながら勤めているうちにスッキリと身上のご守護をいただきました。 この身上になって気付いたこと・悟れたことがたくさんあった中で、かしもの・かりもののご守護を身に染みて分かったことがありがたかった。もちろんそれまでも、かしもの・かりものの教理は、教祖の教えですから、得心して人には説いてきましたが、実感が伴っていなかったなと。しかし、身上をいただいて、ご守護のありがたさを実感を持って取り次げるようになりました。親神様は7年掛けて、私にかしもの・かりもののご守護のありがたさを仕込んでくださったと、後になって悟ることができました。 また、この身上のおかげで、病気で苦しんでいる人の気持ちが分かるようになり、、おたすけに掛かるときの、私の大きな力になっています。誰しも、身上になれば辛く苦しいものです。自分だけでなく、大切な人が病気で苦しんでいる姿は見ているだけでも辛いです。 「病気」とはどんな姿かと考えると、「それまで当たり前のように使っていた部位や、機能するのが当たり前と思っていた臓器が、当たり前でなくなった姿」です。 逆に言えば、「病気が治る」ということは、「当たり前でなくなったところが当たり前に戻っただけの姿」です。 病気が治れば、誰でも喜びます。身上が難しければ難しいほど、ご守護をいただいたときは、天にも昇るように喜びます。病気が治ってうれしい、ご守護いただいてありがたいと思います。 これは何を喜んでいるのかといえば、「当たり前である」ということ、これを喜んでるのです。「当たり前である」こと、「普通である」こと、「恙なき日々」、これが親神様から頂戴している「最もうれしくありがたいご守護」です。これを喜ばずして何を喜ぶのか、これに感謝せずして何に感謝をするのでしょう。 また、たとえ身上があったとしても、よくよく思案すれば、そこ以外では、山ほどのご守護をいただいていることに気付きます。身上があるところはしんどいけれど、そこ以外は使える。これもご守護です。 こうして毎日を過ごせる、自然環境が整っている、周囲を見渡せば家族がいる、大切な人がいる、支えてくれる人がいる、同じ信仰をする仲間がいる、仕事もできる、そして何よりも今、生かされているこれらすべては、親神様のご守護で、感謝し、喜ぶことは、探せばいくらでもあるのです。 親神様のご守護、教祖の親心を思えば思うほど、感謝の心しか湧いてこない。「報恩感謝の日々を通ること」が、「お道の信仰の基本的な態度」。これを、教祖は「水を飲めば水の味がする」という言葉で教えられたと思えてなりません。 「ふしから芽が出る」 以前、前真柱様から聴かせていただいたことですが、教祖は、貧の道・どん底へ自ら進んで歩まれたので、ひながたの道中での一番のご苦労は、経済的な困窮ではない。教祖のことを理解する人がいない、聴き分ける人がいないなかで、そうした人々に教えを伝えること、これが一番のご苦労でした。 月日のやしろと定まってからの教祖の言動は、世間の人々がそれまでに見聞きしたこともないことばかりでしたから、人々はこれは理解できません。理解しないだけではなく、次第に「憑き物が付いた」・「気がおかしくなった」と嘲り笑うようになりました。教祖は、人に笑われ謗られる道を通られた。こうした人々に理解してもらい、教えを伝えることに、教祖は最も苦心された。つまり、「教祖のことを理解してくれる者が周囲にいなかった」ということです。 芦津大教会は大阪の中心地・西区で設立しましたが、父の代に、現在の東住吉区に移転しました。父は、終戦後ロシア軍の捕虜となってシベリアで11年間、抑留生活を送り、昭和31年(終戦11年後)、帰国。その翌年に撫養大教会の圡佐家から井筒家へ養子に入りました。その次の年、シベリアから帰国してわずか1年4ヶ月で大教会長になりました。 会長になって、芦津のとんでもない事情を、実は二代真柱様が大きな親心で抱き抱えてくださっていたことを知った父は、「このままでは申し訳ない」・「芦津は理が立たない」・「教祖のひながたを辿らせてもらおう」・「初代の道に立ち返ろう」と考え、教会の土地建物をすべて売却して、本部にお供えすることを決心、役員に相談すると賛同してくれ、二代真柱様に申し上げると「やってみよ」と道のをやが背中を押してくださった。そこで、すべてを本部にお返しして、大阪市内にある部内教会に大教会の神様をお鎮まりいただいた。 このときの世話人先生は「これから芦津は毎月集まった全ての御供を、おぢばへ運ぶように。必要な経費があれば後で本部に貰いにくるように」という実に厳しいお仕込みでした。こうした中の再スタートでしたから、贅沢など一切できません。とにかく質素を旨とした教会生活が始まりました。教会の者が市場へ行き、落ちている野菜を拾ったり、売れ残りの野菜をもらってくる、それを毎日の食事のおかずにしていました。 このふしは芦津にとって実に大きなふしでしたが、父や当時の芦津の人たちは、その中をどうして通ることができたのか。それは、教祖のひながたの道があったからです。「教祖は理解をしてくれるものが誰もいないなか、笑われ謗られる道をお通りくださった。それを思えばわしらはありがたい。道を歩けば挨拶をしてくれる人もいる。市場へ行ったら野菜を分けてくれる店もある。私たちの周りには理解をしてくれ支えてくれる人はなんぼでもある。教祖のことを思えば、結構やありがたい。まだまだ通れる。教祖はご存命や。一生懸命に通っていればご存命の教祖が必ず導いてくださる、良いようにしてくださる、間違いない」と「ご存命の理」に凭れて通ったからあのふしの中を安心して通り抜けることができたのです。 こうした大節の中を教祖のひながたを支えに、「ご存命の理」を頼りに通る中に、数々のご守護が上がってきました。人が寄り、心が寄り、物が寄り、真実が寄って、5年後には、現在の場所に、小さな神殿でしたが、教会復興のご守護をいただきました。 今の芦津があるのは、あの大きなふしがあればこそです。あの苦労の中をいつも教祖が支えてくださり、教祖が「ご存命の理」でお導きくださったおかげで、あのふしを乗り越えることができ、「ふしから芽が出る」ご守護をいただけたのです。 現在、皆さんの中には「私は苦労の道を通っている」・「大変な道を通っている」と思っている方がいらっしゃったとしても、それを理解してくれる人は必ずありますね。皆さんの周りを見てください。教会に繋がるよふぼくや信者さんがおられるではないですか。理の親はいつも温かい心で見守ってくれるし、大教会へ参れば心を打ち解けあえる教友もいる。おぢばへ帰れば親心で迎えてくださる。私たちの周りには、理解をして支えてくれる人はいくらでもいます。 少々の苦労があっても、教祖を思えば、まだまだありがたい、まだまだ結構なのです。さらに、教祖がご存命で導いてくださっていることが、実にありがたく心強い限りです。 私は「どうか、教祖のお供をさせていただきとうございます」とお願い申して本部巡教に出向しています。つまり、今、私のそばに教祖が居られるので、安心して今日の御用を勤めることができるのです。皆さんの側にも教祖は居られるから安心してお道の御用を勤めることができるのです。 教祖は、「ご存命の理」をもってお働きくだされています。これほどありがたく心強いことはありません。 皆さん方は、よふぼくの先達として、たすけ一条の道を歩んでおられる。その道中は、決して楽しいことばかりではありません。教祖は「この者に成人させてやろう」と思われたら、親心のうえから、度々とふしをお見せくださいます。 現に、今、辛くて苦しい道を歩んでおられる方もあるでしょう。人に言うに言えん、泣くに泣けんような道を通っておられる方もいるでしょう。心が折れそうになるときもあります。ぺしゃんこに潰れてしまいそうになるときもあると思う。そんなときこそ、教祖のひながたを思い浮かべていただきたい。そして、教祖を思えば「まだまだ、わしらはありがたい」・「まだまだ結構や」と心を奮い起こして通っていただきたいのです。 そして、存命の教祖に、どこまでもお縋りして、お通りいただきたい。教祖さえ見失わなければ、どんなふしでも芽が吹く道へとお導きくださるに違いありません。教祖のひながたの道を信仰の支えとして、どこまでもご存命の教祖のお供をさせていただいて、どうか、たすけ一条の道を進んでいただきたいと思います。 「人救けたら我が身救かる」 教祖がひながたの道中で心を尽くされたのは、世界一れつをたすけることと、そのための人材を引き寄せて育てることです。 つまり、教祖がなさったのは、「人をたすける」ことと「人を育てる」こと、今で言えば、「おたすけ」と「丹精」です。ですから、教会活動のすべては、「人をたすける」こと、「人を育てる」こと、すなわち「おたすけ」と「丹精」に繋がっているわけです。 一人の人をよふぼくに「丹精」するためには、その道中、おたすけが欠かせません。このたすけが教会長・よふぼくの大切な御用です。 親神様は、陽気ぐらしを目標に人間世界を作られた。陽気ぐらしというのは、簡単に言えば、「親神様ををやと慕う私たち人間が、お互い、一れつ兄弟姉妹として、支え合い、補い合い、励まし合い、たすけ合う世界」ですから、親神様が、私たち人間に望まれていることは、一れつ兄弟姉妹としての「たすけ合い」であります。 「おたすけ」と聞けば、何か相手を一方的にたすけるような感じがしますが、決してそうではありません。人間の親子を例にとって考えてみると、例えば、困難に遭遇して悩み苦しんでいる弟や妹に、その支えになってやろうと手を差し伸べる兄や姉の姿。その逆に、悩み苦しんでいる兄や姉に、元気になってほしいと年下ながらも心を尽くしている弟や妹の姿。これは形のうえでは、一方が手を差し伸べていることになりますが、親から見れば、子供同士がたすけ合っている姿です。親にとってこんなにうれしいことはありませんから、おたすけは、親神様が望まれる一れつ兄弟姉妹の「たすけ合い」に他ならないのです。 お道のお互いは、悩み苦しむ人に対して、その人を「本当の兄弟姉妹」と思って親身になっておたすけをさせていただきたいものです。 このおたすけで、まず第一に肝心なことは、言うまでもなく「人をたすける心」です。人をたすける誠の心を尽くすことです。 『教祖伝逸話篇』「四二人を救けたら」に、次のような話があります。 福井県に住むある男性が、娘の気の間違い(精神病)を救けてもらいたいと、教祖にお願いすると、教祖は、「村にかえったら、各家を訪ねて、四十二人の人を救けるのやで。なむてんりわうのみこと、と唱えて、手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで。人救けたら我が身が救かるのや。」とのお言葉があった。その男性は、藁にも縋る思いで、この教祖のお言葉を素直に実行、村中をにをいがけに廻わり、病人の居る家には何度も足を運んで、四十二人の平癒を拝み続けたところ、不思議にも、娘の気の病は全快のご守護を頂いて、養子をもらう喜びまでお与えいただいた、という話です。 この逸話を読んで、拝んだ42人の人は果たしてたすかったのか、ご守護いただいたのかと考えたことがありますが、この逸話では、そのことは問題ではありません。ご守護くださるのは親神様であって、ご守護いただくかどうかは、親神様の範疇です。 つまり、この逸話で最も大切な部分は、この男性が42人の身上平癒を拝み続けたということ。「この病人さんをなんとかおたすけ下さいませ」と真剣に願い続けた誠の心を、親神様がお受け取りくださり、娘さんにご守護をいただいた。この逸話は、私たちよふぼくに「人をたすける誠の心の大切さ」を、教えているのです。 おたすけにあたっては、このように人をたすける誠の心をもって掛かることが大事ですが、ただ願うだけでなく、そのうえで、なおも大切なことは、その人にたすかっていただくために、親神様にお受け取りいただけるだけの真実をいかに尽くすかということです。 以前、教祖殿当番を勤めていたときのこと、教服を着てお守所から出たところに、見ず知らずの青年から声が掛けられた。「先生、教祖のお下がりをいただけませんか」と尋ねられた。「どうしたの?」と訊くと「実は、昨夕、友達が突然の病気で倒れて病院に運び込まれました。すぐに駆けつけておさづけを取り次いだんですが、友人の苦しそうな顔を見たら、居ても立ってもおれなくなって、おぢばへお願いに帰ってきました。その彼にお下がりを届けて、またおたすけに行きたい」とのこと。「それじゃ、お御供さんをいただきなさい。お御供さんは、これもご存命の教祖にお供えをしたご洗米のお下がりだから、ここには教祖の存命の理が籠っている。お守所で理立てをしたら頂戴できるから、それを持って友人のおたすけに行っといで」と伝えた。本人は、早速、お御供をいただいて、教祖殿でご存命の働きを真剣に願って、友人のもとにおたすけに舞い戻りました。この青年は教会長でも後継者でもありません、サラリーマンの一よふぼくです。それも「福岡から帰ってきた」と言っていました。その彼は、「身上になった友人をたすけていただきたい」と、大切な一日を友人のためにお供えをした。福岡から新幹線で帰れば往復3万円は掛かるでしょう。それを身銭を切って、友人のためにこれを尽くした。友人のご守護を願って、自らが真実を尽くしたのです。実に素晴らしいよふぼくの姿ではないですか。 年祭活動は「たすけの旬」であり、それはまた「たすかる旬」でもあります。しかし、必ず奇跡的なご守護をいただけるとも限りません。 ある布教師の話。癌の進行が進んで治る見込みがなく家族も覚悟を決めていた方のおたすけに掛かった。「必ずたすかります」と、毎日通った。「なんとかたすかっていただきたい」と、連日十二下りのお願いづとめをし、身上平癒におぢばまで歩いて足を運び、水垢離もし、断食もしておたすけに通ったけれども、結局は出直してしまった。そのとき、その布教師は、家族に対して「私の真実が足りませんでした」と泣いて詫びた。家族は「私たちですら諦めていたのに、この人は、毎日一生懸命にお願いをしてくれ、死んだら自分のせいだと泣いてお詫びまでしてくれる」と、この布教師の真実が、家族の心を揺り動かして、信仰の道に入ってくれた。 身上たすけにおいて、結果として、奇跡的なご守護をいただけませんでしたが、この布教師の尽くした真実を、親神様がお受け取りくださって、その家族が「真にたすかる道」へと導かれたのです。 こうしたご守護の姿もあるのです。 不思議なたすけが上がるかどうかは、飽くまでも親神様の範疇、親神様にお任せするより他ありません。 私たちよふぼくにできることは、「この人になんとかたすかっていただきたい」と、ひたすらに真剣に存命の教祖に縋りお願いを申し上げる、人をたすける誠の心を尽くすことです。 そして、「この人のために、私は、何ができるか」と思案し、親神様にお受け取りいただけるだけの真実を尽くすことです。この誠真実によって、相手がたすかり、「人救けたら我が身救かる」というご守護がいただけるのです。本当におたすけはありがたいですね。 私の卑近な体験から、「諭達」に記された教祖の3つの教えを思案しました。 教祖のひながたの道は、私たちが陽気ぐらしの道を通るためのお手本です。私たちがこの道を歩む中に、思案にくれることや何かの岐路に立つことがありますが、そうしたときには「教祖ならどうなさるだろうか」・「教祖ならいかようにお考えなさるだろうか」と、この思案に立って、行動に移すことが大切だと思います。決して教祖を見失わないことです。 たすけの手を差し伸べてくださっている教祖に、私たちの方から一歩でも二歩でも近づいて、この旬に、あらためて教祖のひながたを目標に、教えを素直に実践したい。 「諭達」に示された旬の歩み方 さて、私たちの身の回りや世界に目を移したときに、「諭達」に、 今日、世の中には、他者への思いやりを欠いた自己主張や、刹那的行動があふれ、人々は、己が力を過信し、我が身思案に流れ、心の闇路をさまよっている。 と示される姿が目に写ります。争いや混乱が絶えることなく陽気ぐらしには程遠い現状と言わざるを得ません。 では、今のこの世の中に対して、私たちお道の者は何ができるのでしょうか。 もちろん、今の状況をひっくり返すような大きなことはできませんが、私たちにできることは、一人ひとりが教祖から教えていただいた陽気ぐらしの教えを実践して、その姿を身近なところから周囲に映していくことだと思います。コツコツとした歩みですが、これを積み重ねていくしかありません。 そこで、では、この旬に私たちよふぼくとしてはどのように歩んだらいいのかについて、「諭達」に、 よふぼくは、進んで教会に足を運び、日頃からひのきしんに励み、家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよう。身上、事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治まりを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。親神様は真実の心を受け取って、自由の御守護をお見せ下される。 と示されています。 ここに記されているよふぼくの歩み(今の旬の歩み)ですが、これは、よふぼくとしての基本的な信仰実践、よふぼくとしてして当然のこととも言えますが、しかしながら、これができていないという現実もあると思います。 これをよふぼく皆が実践すれば、陽気ぐらしへの道は一段と進むに違いありません。 そこで、皆様方にお願いしたいのは、ここに集う皆さん方は、教会長やその配偶者、布教所長など、教会の主立つ方々です。つまり、人を導き育てる立場である皆さん方が、まずこれを率先して実行することを心がけて、陽気ぐらしへの歩みを進めていただきたいのです。 「陽気ぐらし」を人に説く者が、陽気ぐらしを忘れてしまっては話になりません。短気な人に「腹を立てるな」と言われても聞けぬ相談です。高慢な人に「心を低くして通れ」と言われても飲めぬ話です。何の説得力も持ちません。 身近なところから「丹精」 まずは、私を含めて、ここに集う立場のお互いが、「諭達」に示された旬の歩みを、一つひとつ実践して、身近なところから陽気ぐらしを世の中に映していくことが肝心です。 そして、自ら実践しつつ、所属のよふぼくや理の子にも動いてもらい、成人してもらわねばなりません。これは一にかかって、教会長の「丹精」、理の親の「丹精」にあると思います。 しかし「なんとか聴き分けてもらおう」・「成人していただこう」と思っても、相手がそれを受け入れてくれなければどうにもなりません。 けれども、教会長が理の子から信頼されていれば、慕われていれば、たとえ、厳しい仕込みであっても受け入れてくれるのです。そのためには、普段から、「足を運び」・「心を通わせ」・「世話をする」ことです。 つまり、「丹精」の基本は、「足を運び」・「心を通わせ」・「世話をする」、この3つだと思います。 そして、よふぼくや理の子に何かあったら、飛んで行っていただきたい。かなりの日数が経ってから行ったのでは、お見舞いにしかなりません。すぐに行けばおたすけになります。おたすけとお見舞いとでは受ける側の気持ちは全然違います。 「あの辛いときに、苦しいときに、会長さんはすぐ来てくださった」ということが、理の子にとって忘れることのできない心の宝になるのです。困ったときに頼りになるのが教会長です。おたすけが一番の「丹精」になるということを心においていただきたいと思います。 よふぼくは、いんねんあって、親神様が教会に繋げてくださいました。普段からよふぼく・信者に心を繋ぎ、足を運ぶ、遠方であるからといって放っておかずに、折を見て、年に数度は足を運んでいただきたいと思います。 よふぼくにとって、教会から流される旬の声はたすけの綱、教会長の取り次ぐおさづけは命の綱とも言えるのです。 所属するよふぼく・信者が、時旬の歩みを勇んで進めて、ともに成人につとめ励むことができるように、どうか、皆さん、本気になって、しっかりと「丹精」に励んでくださることをお願いしたいのです。 道は末代・・・縦の伝道 またよふぼくや理の子の「丹精」と同様に、忘れてはならないのが、次の世代を「育てる」ことです。「諭達」にも、この旨が述べられていますが、これは、大切なご用です。 「道は末代」と教えられるように、この道は、陽気ぐらし世界の実現を目指して、末代、続いて行かねばなりません。「道」は歩いてこその道であって、歩く者がいなけれなくなれば、「道」は道でなくなります。 そこで、皆さん、「末代」と聞けば、何か、遥か先のことに目が行きがちですが、私たちは、わずか100年先や200年先のことですら、誰にも分かりません。何も見えません。しかし、はっきりと見えているものがある。それは、次の世代です。 「道」が末代であるためには、次の世代を「育てる」こと。これを、常に意識して、コツコツと、しかも積極的に取り組むことです。 この「信仰の継承」について、以前、前真柱様が、駅伝のバトンに例えて話されたことがあります。駅伝を信仰に置き換えれば、スタートは入信の元一日、ゴールは陽気ぐらしの世界、ここを目指して、私たちは、代々と、信仰のバトンを渡していくのです。その道程も長い距離や短い距離、平坦な道もあれば上り坂・下り坂もあります。それに相応しい区間を、親神様は、私たち一人ひとりに、与えて下さっている=私たちは、親神様から託されている。 現在、平坦な道を快走するように順調に道を進んでいる教会もあれば、苦心や苦労をしながら上り坂を息を切らして走っているところもあるでしょう。中には、もう歩くだけでも辛いような、ガタゴト道や砂利道に遭遇している方もあるかもしれない。でも「今のこの道を通れるのは、お前しかいない、頼んだぞ」と、親神様が託してくださっている道中だと思えば、何か、心に力と勇気が湧いてくるではないですか。 私たち一人ひとりに親神様からお掛けくださるご期待と親心にお応えしながら、次にバトンを渡すのが、私たちの役目です。「そのとき」になって、一生懸命にやっている「私の信仰」を継いでくれる者がいなければ、寂しい限りです。 先人が、懸命に通ってきた信仰のバトンを受けて、私たち一人ひとりが、今、この道を歩んでいます。その、私たちの命には限りがあります。つまり、誰もが、信仰のバトンを渡すときが必ず来ます。「そのとき」に、「後は頼んだぞ」と、次の者に、安心して、バトンを渡してやりたいではないですか。そのためにも、私たちの、まず、この次の世代をしっかりと「育成」することです。これからの道の将来を担っていく次の世代の「育成」に、この旬に、あらためて、力を入れることです。 信仰の喜びを親から子へ、子から孫へと繋いでいく「縦の伝道」は、今の旬の、最も大切な御用の一つとお考えいただいて、どうか、そのための骨折りを決して惜しまず、大いに工夫をし苦心をして、お取り組みいただきたいと思います。 教祖にお喜びいただくために 一手一つの和 さて、「諭達」の最後に、 この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。 と述べられていますが、この「御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き」たい、「お喜び頂きたい」とのお言葉に、真柱様の思いが集約されているように、私は感じています。 これにお応えするために、欠いてはならないのは、「一手一つ」です。「一手一つ」とは、まず、芯になる者が、親神様のお心に添った神一条の心をしっかりと定めることです。芯の心が定まらないところに、「一手一つの和」はできません。そして、関わる人々が、芯になる者の心を汲んで、心を結び合い、それぞれの徳分・個性を活かして、持ち場・立場の役割を力を合わせて務めきることです。 「一手一つ」に結べば、どれだけお働きいただけるかは、おさしづで、 一手一つ理が治まれば日々理が栄える。(明治22・1・27) 一手一つの速やかの理をあれば、速やかと治まる。(明治22・5・19) 一手一つに皆結んでくれるなら、どんな守護もする。(明治31・1・19) と、「一手一つ」に結んで事に当たれば、「日々に理が栄える」・「治まらんところを、速やか治めてやる」・「どんな守護でもしてやる」と、はっきりと教えられています。 このたびの「諭達」を受けて、笠岡大教会では大教会長さんは「心を定めて進む」べく、そうした心定めをして、年祭活動の方針と具体的な目標を定められますが、どうか、この大教会長さんを芯に、これに「一手一つ」に取り組んでいただきたいと思います。 また、この大教会の方針に添って、各教会において年祭活動に掛かられますが、会長さん方一人ひとりが、教会の先頭に立って、年祭活動を勤める心をしかと定めて、所属するよふぼく・信者の皆さんと「一手一つ」に心を結んで、時旬の歩みを、心勇んで進んでいただきたい。 そして年祭活動に取り組む全教よふぼくの芯として発布されたのが「諭達第四号」ですが、「諭達」に込められた真柱様のお心をしっかりと汲み取り、「諭達」の精神に則って、道のをや・真柱様を芯に、教会長・よふぼくが「一手一つ」に心を結んで、年祭活動に勇んで掛かる。そうすれば、「日々理が栄える」・「速やか治まる」・「どんな守護でもする」という誠にありがたくうれしい姿を、この旬に、随所にお見せいただけるに違いありません。 いよいよ、年祭活動が始動いたします。教祖年祭の旬は「たすけの旬」・「成人の旬」。であるならば、「たすかる旬」・「成人できる旬」でもあります。教祖の年祭で、皆、たすけていただき、成人させてもらいます。皆、結構にしていただくのであります。私たちは今、途轍もなくうれしい旬を迎えているのです。 親神様のご守護には一点の曇もなく、教祖の親心には一部の隙間もありません。このご守護を信じきり、親心に凭れきっておたすけに励めば、随所で、うれしい姿、うれしい理を見せていただけるのです。教祖さえ見失わなければ、どんな中でも教祖が支えてくだされ、「存命の理」で、間違いなく導いてくださるのです。 どうか、ご存命でお働きくださる教祖にご安心いただき、お喜びいただけるように、「諭達」の精神に、全教が「一手一つ」に心を結んで、教祖140年祭を目指して、心明るく、心勇んで、成人の道を進ませていただこうではありませんか。 どうか、皆様方の、この、素晴しい旬のたすけ一条、弥増しに勇んだご丹精を、最後にお願いいたします。 《以上、要約》